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3月末で、一旦、いまの会社を退職させてもらいたいということ。
ずっと言えなかったけど、ついに今日、いまお世話になっている会社の社長に辞意を伝えた。
ひとまずは簡潔に伝え、来週、面と向かって説明させてもらうことにしようと、メールを打った。
社長からはすぐにメールの返信が来て、文面にはこんな言葉が書いてあった。
「基本的には了解しましたが、近いうちにゆっくり話しましょう」
これは……引き止められる可能性があるということだろうか……。
そうなると、いろいろとややこしいことになってくる……。
退職したい理由はいくつもあって、向こうが引きとめようとすればするほど、それを次から次に言ってしまうかもしれない。
正直に言ってしまえばしまうほど、社長を傷つけてしまったり、反感を買ってしまったり、失望されてしまうかもしれない。
でも、もう乗りかけた船だ。
紡ぎだす言葉には細心の注意を払って、しっかりと誠意を持って自分の気持ちを伝えたい。
高知新聞に「声ひろば」というコーナーがある。今日、何気なく紙面をめくっていたら……高校3年の時、予備校時代とお世話になった、数学塾の先生が寄稿していた。彼にはもう、ちょうど10年ほど会っていない。
本当に、いろいろとご教授いただいた先生だった。数学の実力に関しては、おそらく県内進学校のどの数学教師よりも優秀で、その独自のキレのある解法は、大手予備校の数学講師にも負けていないと、数学が一番の武器だった当時の自分は絶大な信頼を置いていた。
年齢や経歴など自分のことを話したがらない謎の多い先生だったけど、時として僕らと同じ目線で、世間話や恋愛話などをしたのも覚えている。一番印象に残っているのは、確か10年前のこの時期、センター試験直前の冬期講習だったと思うけれど、一斉授業が始まる前、朝8時くらいから、僕一人のために東大数学講座をやってくれたことだ。わざわざ8時前に来て、エアコンなどない古い教室に石油ストーブを焚いてくれていたことを鮮明に覚えている。しかも、講座はボランティア。わずか一人の塾生のために、なかなかできることじゃない。絶対、東大に合格してほしかったのだと思う。
けれど、僕は東大に完敗した。一番の武器だった数学で大コケしてしまったのが、大きな敗因だった。まだ受験失敗のショックを引きずっていた大学入学直後のGW、帰郷した折に先生のもとを訪ねた。でも、そのとき彼と何を話したのかは全く覚えていない。ただ、落ち込んでいる姿を見せたくないと気丈に振る舞ったことと、その時の先生の顔がえらく無表情だったこと、ほとんど彼の口から言葉が出てこなかったことだけ、微妙に記憶に残っている。
僕は、その無表情と口数の少なさに、妙に腹が立った。実は、先生はずっと僕に対して「東大以外は大学じゃない、東大に受かれよ」と言っていた。だから、「君にはがっかりだ、失望したよ」とでも言っているように思えたからだ。いまにして思えば、どんな言葉をかけてあげたらいいのかわからず、躊躇していただけかもしれない。ただの被害妄想だったのかもしれない。でも、正直、慰めてもらえるだろうという期待があった当時の自分は、裏切られたような気持ちになった。だからそれ以来、もう彼のもとを訪れないことにしたのだった。
さて、話を高知新聞に戻す。先生の記事は、「学業には目的意識」というタイトルだった。かつての教え子が、医師やプログラマーや研究者になって、帰省の際に訪ねてきてくれる。そして、それほどしっかり者でなかった彼らが学業をおろそかにしなかった理由を考えてみるに、それは「目的意識」だろうと。末尾には、「全員が同じようにできる必要はない」という言葉さえあった。
考えさせられた。ここで先生の言う「目的意識」とは、「○○大学に入る」といった矮小なものではなく、もっと人生全般を見据えた大きな志のはず。先生は10年前もこの考え方を持っていたのだろうか? もしそうだとしたら、なぜ僕には「東大に行け」と言い続けたのだろうか? 「東大に行く」ことが目的となっていた自分を、なぜ諭してくれなかったのだろうか? その後の僕の苦悩の責任を先生になすりつけるつもりは毛頭ないが、本当に信頼していた方だ。木しか見えなくなっていた若造に対して、森を見るということを教えてほしかったな……。記事を読みながら、当時を思い出し、ちょっと切なくなった。
そして10年後のいま、未だ将来に対してしっかりとした目的意識を持てず、悶えている自分がいる。世間の価値観に必要以上に迎合せず、自分自身の魂の声や判断基準に沿った生き方を歩み始めたときこそ、胸を張って先生に会いに行けると思う。そのときには、お世話になった感謝の念を、もう一度伝えたい。
明けまして、おめでとうございます!
2010年……ついに下二桁の時代に突入しました。
まだ全然実感はないのですが、今年はついに、僕の“20代”が終わりを迎えます。
それは同時に、“30代”という新しい人生のステージの始まりと捉えることができます。
“終わり”はどこかネガティブですが、“始まり”はポジティブな印象。
同じことなら、ポジティブな考え方をしたいと思います。
さて、今年の目標について。
具体的にはいくつかありますが、まとめるとやはりこれかな、と。
『自分を好きになる!』
シンプルですが、今の自分にとって、きっとこれが一番の処方箋になる。
誤解を恐れず、とりあえず宣言しておきます。
ということで、今年もどうかよろしくお願いします!
うちの実家は結構な田舎にあるので、集落(部落)の中に共同墓地がある。
大きな霊園のような、どこか人工的で寂しい様子でもなく、
かといって霊気を感じるような不気味さもなく、
こじんまりとした昔ながらの墓地だ。
先日、法事で久々に墓参りをした。
ご先祖様の墓はそれほど多くわけでもないが、それでも10数墓ほどある。
「この中の一人でも欠けていたら、自分はここに存在していないんだ……」
そんなことを考えると、自分の存在に対して、妙に神聖な気持ちになった。
「自分を愛することのできない人は、本当の意味で他人を愛することはできない」
まずは自分を、つまり自分の心と体を愛する。
大切にする、労わる、感謝する。
それができて、はじめて他人を愛することができる。
人生が上手くいっていないと感じている人にとって、自分を愛することは、極めて難しい。
でも、それができない限り、次のステップには進めないと思う。
とにかく、必死になって自分を愛してみようとすること。
100%できるわけがないけれど、少しでもいいから、そこに気持ちを集中させること。
それが一番大切なことだ。