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4月からどうするか、漠然とは1年前から、本格的には半年くらい前からずっと考えているのだけれど、どうしてもあるラインまでの方向性しか見えてきません。
これは多分仕方のないことで、もう実際に足を踏み入れてみなければ、その先は見えてこない段階に来ているのかな、とは思います。
いまの会社・NPOには、4月以降も何らかの形で関わっていくことになりそうなのだけれど、それに加えて具体的にどんな行動をとっていこう……。
マイロードを真剣に模索中の人と話すことで、何かヒントが浮かぶかも?
そう思って、最近仕事で知り合った高知の移住コンシェルジュ、Tさんにプライベートで話を聞いてみることにしました。
Tさんは高知県の日高村(村!)出身、高校卒業後にテキサス州立大学でマスコミュニケーションとエコツーリズムを専攻し、約2年間東京で外資系PR会社に勤務した後、つい最近高知県の移住推進事業の中枢を担う移住コンシェルジュに着任したという、ユニークな経歴の持ち主。
仕事で数回会っただけだとわからなかったけれど、今日初めて彼女の人生観や仕事観や価値観を聞かせてもらって、ほわ~んとしていておっとりで不思議系な中に、非常に芯があって、物怖じをしない強さをひしひしと感じました。
「自分らしく生きる」っていう、言葉にするとすごく安っぽくて簡単そうだけれど、実践するのは極めて難しいことを、いとも簡単にやってのけているような印象。
「どうしたらそんなに自然体になれるんですか?」って聞いたら、
「そうですねぇ、他人に気を遣わないからですかね?」って(笑)
そういうところは真似しようと思ってもなかなかできるものではないけれど、その他の要素として、やはり彼女には大きな軸がありました。
TさんのBlogにはこんな言葉があります。
『私が東京から高知に移ったのは、休息の為ではなく、「これから」に向けた準備期間として自己の進化に繋げる為。葛藤や波はありますが、邪念なく、求めていた環境の中、Nature×Tourism×Communicationについて考えています。』
今日の話でも、Nature、Tourism、Communicationを自らの軸としていることが伺えました。
そこがブレないっていうのはやっぱり強くて、その強さがTさんの行動力やアグレッシブな姿勢を支えているんだな、と改めて思いました。
さて、僕にとっての“ブレない軸”って何なのだろうか?
明けまして、おめでとうございます!
2010年……ついに下二桁の時代に突入しました。
まだ全然実感はないのですが、今年はついに、僕の“20代”が終わりを迎えます。
それは同時に、“30代”という新しい人生のステージの始まりと捉えることができます。
“終わり”はどこかネガティブですが、“始まり”はポジティブな印象。
同じことなら、ポジティブな考え方をしたいと思います。
さて、今年の目標について。
具体的にはいくつかありますが、まとめるとやはりこれかな、と。
『自分を好きになる!』
シンプルですが、今の自分にとって、きっとこれが一番の処方箋になる。
誤解を恐れず、とりあえず宣言しておきます。
ということで、今年もどうかよろしくお願いします!
うちの実家は結構な田舎にあるので、集落(部落)の中に共同墓地がある。
大きな霊園のような、どこか人工的で寂しい様子でもなく、
かといって霊気を感じるような不気味さもなく、
こじんまりとした昔ながらの墓地だ。
先日、法事で久々に墓参りをした。
ご先祖様の墓はそれほど多くわけでもないが、それでも10数墓ほどある。
「この中の一人でも欠けていたら、自分はここに存在していないんだ……」
そんなことを考えると、自分の存在に対して、妙に神聖な気持ちになった。
「自分を愛することのできない人は、本当の意味で他人を愛することはできない」
まずは自分を、つまり自分の心と体を愛する。
大切にする、労わる、感謝する。
それができて、はじめて他人を愛することができる。
人生が上手くいっていないと感じている人にとって、自分を愛することは、極めて難しい。
でも、それができない限り、次のステップには進めないと思う。
とにかく、必死になって自分を愛してみようとすること。
100%できるわけがないけれど、少しでもいいから、そこに気持ちを集中させること。
それが一番大切なことだ。
凹んでいるというわけでもないけれど、なんだかフラットな感じ。
いろいろな想いが錯綜する中で、そういう心理状態になっているんだろうけれど。
次に進もうと思う路を、決めつつある。
いまの会社に関わるようになってからも、次の路はいつも意識していたわけで、
“建築”は常に有力な選択肢のひとつだった。
人生何が起こるかわからないという意味では断言できないけれど、いまのところ、
かつて恋焦がれた“建築”とは決別しそうな流れになってきた。
“建築”を見ても、「かっこいいなー」とか「美しいなー」とか、
いまでもそういった普通の感情は芽生えるけれど、
昔のように“ワクワク”しない自分がいることに気付いた。
“建築”に気持ちを注げなくなっている自分に気付いた。
そんな状況を、正直寂しいなぁと思う。
自分の“建築”に対する想いはその程度だったのかと、
なんだか自分にがっかりするような気持ちもある。
でも、一方で、盲目的になっていた自分から、
ようやく解放されたのかもしれないという思いもある。
「次に出会う“何か(=未来)”に向けて、“過去(=建築)”のことにしましょう」
そんな、神様からの訓示かもしれない。
とにかく、もう十分悩んだと思う。考えたと思う。
後は、行動だ。
また嫌な思いをすることがあっても、それも人生。
なるようにしかならないし、“いま”を大事にしていかないとね。