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みなさん、明けましておめでとうございます !!
何とも段取りが悪いわたくし、2007年振り返りが年を越えてしまいました。
振返り①はなんか、痛々しい・・・ (^_^;)
1月
2日、同窓会。
高校時代の友人と再会する。
確実に時は流れていることを実感。
2月
卒業計画提出。
惨澹たる結果に茫然自失。
でも、4月からの再起・活躍を妄信し、建築学科時代の反省をしなかった。
悪かったのは環境だと・・・
16-28日、岡山にて住まい探し。
4月からの生活を想像し、期待に胸を膨らます。
3月
10-19日、イタリア卒業旅行。
大学時代、最高の想い出のひとつとなる。あの感動は忘れられない。
24日、送別会。
東京を去る自分のために、たくさんのラグタイムメンバーが集まってくれた。
もらった財布は、何物にも代え難い宝物。
25日、卒業式。
7年という、長かったような、短かったような、W大学生活が終わる。
27日、引越しの運び出し、そのまま岡山へ・・・
4月
岡山入り、「K社」入社。
初日こそ21時くらいに帰宅できたものの、二日目は22時、三日目以降は23時帰宅が標準となる。
日が変わる前に晩飯、風呂、そしてすぐに就寝という生活は、眠りも浅くなって疲れがとれない。
隔週の連休も入社前と話が違い、月一に。
ただ、4月はまだみんなが優しく接してくれたので、そこまでの辛さは感じなかった。
月末には京都で環大学時代の盟友、B場っちの結婚式。
5月
GWなし・・・ガーン。
代休はいつになったらあるんだろうという思いで、日々仕事。
5月の頭、3ヶ月は試用期間であるということを強調される。
つまり、このまま仕事ができないままだと、給与体制も考える必要があると宣告される。
仕事ができず、もの覚えが悪い自分に対し、社長や上司からの風当たりが強くなる。
ストレスで頭がクラクラするようになり、脳内がオーバーヒートする感覚に何度も襲われる。
休みに紀伊国屋で本を買い、スタバでそれを読むというのが、唯一の楽しみだった。
6月
上旬、社長から最後通告を受ける。
その理不尽さに、なんとか耐えてきた心がぽっきりと折れる。
そして、一番席が近い上司との関係も、最悪に。
もう精神的に崖っぷちだった。
致命的だったのは、ストレスで脳がほとんど思考停止状態に陥り、ありえない凡ミスを連発。
もう、普通のほうれんそう、雑用すらままならない状況になる。
6月後半、GWの代休を契機に実家、そして地元の心療内科へ。
診断書をもらい、休み明けに会社に提出。傷病休暇という形で3ヶ月の休暇期間をもらう。
でも、心の中ではもう退職を決心していた。